昭和40年代の真実
昭和30年代がブームになっているが本当の高度成長期である昭和40年代のことを書いていきます。
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隅田川
育ったのは浅草である。
先日、隅田川の花火大会があったが、子供の頃は中止(廃止?)されていたので
残念ながら見れるはずもなかった。
それも当たり前の話であそこは完全なドブ川だったからだ。
自分の記憶にある隅田川といえば橋を渡る時に
鼻をつまみながら、渡らなければ渡れないほどの臭気を放ちまくっていた川で
花火大会など考えた事もなかったものだ。渡る時、目も少し痛かった覚えがある。
あの近くにあった高い建物は浅草松屋だけであり、当時のどこのデパートにもあった
貧弱で安っぽい遊園地があった。その頃はそんなところでも楽しかったのである。
対岸が本所で此処も下町といわれているが、あそこは川向こうと呼ばれ
子供が行くところではなかった。
40年代はとにかく何でも汚く「公害」なんて言葉もなかったから
工場(川向こうに多かった)は何本もの煙突から
煙を吐き出していた。
それでも誰も文句一つ言わなかった。それが普通だったからだ。
道路も舗装はされていたがアスファルトではなくコンクリートによるものだったから
所々に穴が空いていて雨が降るとたちまち大きな水溜りとなった。
裏路地に入ると舗装どころではなく土の道だったから、大雨が降ると歩くのにも大変だった。
隅田川の水上バスはあったが川の臭さのため、乗る人などいなかった。
今は、人気にもなっているがあのころのことを思い出すとよく残っていたものだと思う。
浅草は今以上にさびれていた。
先日、隅田川の花火大会があったが、子供の頃は中止(廃止?)されていたので
残念ながら見れるはずもなかった。
それも当たり前の話であそこは完全なドブ川だったからだ。
自分の記憶にある隅田川といえば橋を渡る時に
鼻をつまみながら、渡らなければ渡れないほどの臭気を放ちまくっていた川で
花火大会など考えた事もなかったものだ。渡る時、目も少し痛かった覚えがある。
あの近くにあった高い建物は浅草松屋だけであり、当時のどこのデパートにもあった
貧弱で安っぽい遊園地があった。その頃はそんなところでも楽しかったのである。
対岸が本所で此処も下町といわれているが、あそこは川向こうと呼ばれ
子供が行くところではなかった。
40年代はとにかく何でも汚く「公害」なんて言葉もなかったから
工場(川向こうに多かった)は何本もの煙突から
煙を吐き出していた。
それでも誰も文句一つ言わなかった。それが普通だったからだ。
道路も舗装はされていたがアスファルトではなくコンクリートによるものだったから
所々に穴が空いていて雨が降るとたちまち大きな水溜りとなった。
裏路地に入ると舗装どころではなく土の道だったから、大雨が降ると歩くのにも大変だった。
隅田川の水上バスはあったが川の臭さのため、乗る人などいなかった。
今は、人気にもなっているがあのころのことを思い出すとよく残っていたものだと思う。
浅草は今以上にさびれていた。
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