昭和40年代の真実
昭和30年代がブームになっているが本当の高度成長期である昭和40年代のことを書いていきます。
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下町幻想
今や、下町なんぞテレビ画面の向こうにしか存在しないのに、
あたかもあるかのごとく報道するのは詐欺と言っても構わない。
そもそも下町風情などは関東大震災の時に消滅したというのが、
都市学の定説なのだから、テレビは嘘を言い続けてきているといっていい。
下町というのは本来、隅田川にかかる橋のひとつ、厩橋から南の左岸の
ごく小地域を指す言葉ー日本橋、京橋、浜町、人形町、木挽町等々ーであり、
浅草でさえ下町ではない。
また、隅田川の右岸ー両国、本所などーは、川向こうといって
例えば山の手の人間がくるようなところだった。
近代以降で言えば、劣悪な工場街であり、スラムだった、そして
川向こうの先にあるのは在でしかない(在ー田舎)。
だから、葛飾柴又が下町であるはずがない、あそこは在以外の何者でもない。
また、逆に谷根千などといって谷中・根津・千駄木を下町扱いするが、
あっちは上野の山の向こうなのだから山の手とは本来、あの辺を指すのだ。
世田谷、目黒、中野、杉並なども、在でしかない。
少しばかり庶民的な町を下町といい、それよりは少し中流っぽい町を、
山の手といいたいのだろうが、そういうやり方で
本当の地方から出てくる田舎者を騙すような知らせ方をするのも、
テレビはいい加減やめたらどうなんだ。
そうやって、また百姓共がまた東京に舞い戻ってきている。
「おかげで」、東京ばかりが再開発を重ね、本来、百姓共が住むべき
地方は疲弊の極にある。
この責任をテレビはどうとるつもりなのか。
あたかもあるかのごとく報道するのは詐欺と言っても構わない。
そもそも下町風情などは関東大震災の時に消滅したというのが、
都市学の定説なのだから、テレビは嘘を言い続けてきているといっていい。
下町というのは本来、隅田川にかかる橋のひとつ、厩橋から南の左岸の
ごく小地域を指す言葉ー日本橋、京橋、浜町、人形町、木挽町等々ーであり、
浅草でさえ下町ではない。
また、隅田川の右岸ー両国、本所などーは、川向こうといって
例えば山の手の人間がくるようなところだった。
近代以降で言えば、劣悪な工場街であり、スラムだった、そして
川向こうの先にあるのは在でしかない(在ー田舎)。
だから、葛飾柴又が下町であるはずがない、あそこは在以外の何者でもない。
また、逆に谷根千などといって谷中・根津・千駄木を下町扱いするが、
あっちは上野の山の向こうなのだから山の手とは本来、あの辺を指すのだ。
世田谷、目黒、中野、杉並なども、在でしかない。
少しばかり庶民的な町を下町といい、それよりは少し中流っぽい町を、
山の手といいたいのだろうが、そういうやり方で
本当の地方から出てくる田舎者を騙すような知らせ方をするのも、
テレビはいい加減やめたらどうなんだ。
そうやって、また百姓共がまた東京に舞い戻ってきている。
「おかげで」、東京ばかりが再開発を重ね、本来、百姓共が住むべき
地方は疲弊の極にある。
この責任をテレビはどうとるつもりなのか。
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