昭和40年代の真実
昭和30年代がブームになっているが本当の高度成長期である昭和40年代のことを書いていきます。
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貧しさと豊かさと
下町という言葉が安っぽく安易に使われているのはテレビのせいである。
ありもしないものをあるものとして描いて恥じないのは
やはり、田舎者が作っているからだろう、自分の妄想に自分が捉われているだけだ
いわゆる下町は遠く関東大震災の時に滅んだというのが歴史学の定説であり、また
その通りである。
なぜ、葛飾・柴又みたいなところが下町なのか、あそこは在(田舎)でしかない。
それを田舎者が見て下町だと思われるのは東京で生まれ育ったものにとっては
シャクの種である。
そこで昭和40年代だが、自分は昭和34年生まれなので30年代の記憶は
東京オリンピックの断片とその頃から好きだった柏鵬時代の相撲くらいしかない。
だから3丁目の夕日の時代は知らない。書物による知識は勿論持っているが実感は
分かるはずもない。
そこで40年代は、いわゆる物心がついた時代だから記憶は鮮明にあるので
それを書こうと思うに至ったわけである。
そして偶然だが育ったのは下町の本家・浅草だ。
つまり、幼少期の目線を思い出しながら浅草を題材にする。
そして、主にテレビがつくった「下町」の虚像を剥ぐことも
目的の一つである。
ありもしないものをあるものとして描いて恥じないのは
やはり、田舎者が作っているからだろう、自分の妄想に自分が捉われているだけだ
いわゆる下町は遠く関東大震災の時に滅んだというのが歴史学の定説であり、また
その通りである。
なぜ、葛飾・柴又みたいなところが下町なのか、あそこは在(田舎)でしかない。
それを田舎者が見て下町だと思われるのは東京で生まれ育ったものにとっては
シャクの種である。
そこで昭和40年代だが、自分は昭和34年生まれなので30年代の記憶は
東京オリンピックの断片とその頃から好きだった柏鵬時代の相撲くらいしかない。
だから3丁目の夕日の時代は知らない。書物による知識は勿論持っているが実感は
分かるはずもない。
そこで40年代は、いわゆる物心がついた時代だから記憶は鮮明にあるので
それを書こうと思うに至ったわけである。
そして偶然だが育ったのは下町の本家・浅草だ。
つまり、幼少期の目線を思い出しながら浅草を題材にする。
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