昭和40年代の真実
昭和30年代がブームになっているが本当の高度成長期である昭和40年代のことを書いていきます。
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何かを忘れていた・・・
何にも考えていなかった。
みんなそうだったろう、家には車が来た、テレビ色がついた(もっとも、
当時はつまみがあって、いちいち色の調整をしなくてはならなっかたが)
それでも映画のように色つきの映像を見られることは楽しかった。
そんな事に気をとられているうちに
日本橋の上に高速道路が走ったり、車が走り去るのをよけながら遊んだりしていた。
またそういうことに何の疑問ももたなっかたのだ
年柄、餓えというものは知らなかったが、
人口甘味料を本当の甘さと思い、合成着色料で色付けられた
ジュースの色を別にドギツイとも思ってなかった。
唯一、チクロというもの(合成着色料、発ガン性があるといわれたため
禁止になった)が騒動になったとき
ジュースが甘くなくなったといって友達と文句を言っていた。
今なら大変な事になっていただろう。
だけど、とにかく子供も大人も豊かになるのは当たり前のことだと思い、
豊かになることが幸福なのだということに疑いも
何ももたなっかたのだ。
そしてその中で日本橋に見られるような醜いものが作成され、
殺伐とした世界が進行している事に
気が付く人は
おそらく、殆どいなかったに違いない。
みんなそうだったろう、家には車が来た、テレビ色がついた(もっとも、
当時はつまみがあって、いちいち色の調整をしなくてはならなっかたが)
それでも映画のように色つきの映像を見られることは楽しかった。
そんな事に気をとられているうちに
日本橋の上に高速道路が走ったり、車が走り去るのをよけながら遊んだりしていた。
またそういうことに何の疑問ももたなっかたのだ
年柄、餓えというものは知らなかったが、
人口甘味料を本当の甘さと思い、合成着色料で色付けられた
ジュースの色を別にドギツイとも思ってなかった。
唯一、チクロというもの(合成着色料、発ガン性があるといわれたため
禁止になった)が騒動になったとき
ジュースが甘くなくなったといって友達と文句を言っていた。
今なら大変な事になっていただろう。
だけど、とにかく子供も大人も豊かになるのは当たり前のことだと思い、
豊かになることが幸福なのだということに疑いも
何ももたなっかたのだ。
そしてその中で日本橋に見られるような醜いものが作成され、
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気が付く人は
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