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 銭ゲバ

先年、堀江貴文とかいうおっちょこちょいが「金があれば何でも手に入る」とか

言って、ひんしゅくを買ったが別に新しい言葉ではなく

40年代からあったものである。

もっと言及するなら数戦直後から日本人の中にあったものだ

その意味では日本人の誰もが堀江を嗤えるものではない。

日本人とはそんな民族なのだ。



あの頃呼んだマンガに「銭ゲバ」というのがあった。

いわゆるピカレスクだが、いま、そういうジャンルが無くなっただけに印象は強く残っている。

要するに貧乏で不幸な境遇に育った男(しかも片目で醜い容貌)が

カネだけを唯一の価値として、手段を選ばず殺人を筆頭にありとあらゆる悪事を尽くし

大企業の長にまで成り上がり、公害にも目をくれず、ひたすら儲けだけを追求していく話だが

基本的に作品としては子ども漫画だから、誇張も目立つが、その頃の日本人の自画像を見せ付けた功績は大きい。

今の日本人もあんまり変わらないからだ。

日本人などそんな存在なのだ。

「銭ゲバ」から30年以上たっているが、あの頃と今とどこか違うところがあるのか。

状況はますます悪くなっていくばかりではないのか。
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 何かを忘れていた・・・

何にも考えていなかった。

みんなそうだったろう、家には車が来た、テレビ色がついた(もっとも、

当時はつまみがあって、いちいち色の調整をしなくてはならなっかたが)

それでも映画のように色つきの映像を見られることは楽しかった。

そんな事に気をとられているうちに

日本橋の上に高速道路が走ったり、車が走り去るのをよけながら遊んだりしていた。

またそういうことに何の疑問ももたなっかたのだ

年柄、餓えというものは知らなかったが、

人口甘味料を本当の甘さと思い、合成着色料で色付けられた

ジュースの色を別にドギツイとも思ってなかった。

唯一、チクロというもの(合成着色料、発ガン性があるといわれたため

禁止になった)が騒動になったとき

ジュースが甘くなくなったといって友達と文句を言っていた。

今なら大変な事になっていただろう。


だけど、とにかく子供も大人も豊かになるのは当たり前のことだと思い、

豊かになることが幸福なのだということに疑いも

何ももたなっかたのだ。


そしてその中で日本橋に見られるような醜いものが作成され、

殺伐とした世界が進行している事に

気が付く人は

おそらく、殆どいなかったに違いない。

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 グループサウンズ

グループサウンズ(以下、GSと呼ぶ)は前の世代に支持されたものだが

多少、マセていた我々はこれを聞いて育った。

あの頃は歌謡曲は完全におとなのものであり、聞いても詩の意味が解らず、

自分たちに用意されていたのは童謡だったから

聞くことはなかった。

そこにあらわれたGSはまったくの

新しいものに思えたのだ。衣装には関心はなかったが

長い髪型には強い魅力を持った

毎日、ヘアートニック(MG5しかなかった)をあたまにぶっかけ、

ヤング720を見て(朝の7時20分からTBSでやっていた若者向け番組、昔の

若者は早起きだったのか)、特に星占いというものをこの番組で初めて知った。

そんな朝を送っていた変な小学生が(自分もだが)

周りにいたおかしな環境だった


#この番組で人気司会者で、自動車事故で死んだ小柳徹というタレントがいた、本職が何だったのか
 知らないが、番組では一番人気があった。  どなたかプロフィールをご存知の方がいたら
 お教え下さい。

  全く資料が見つからないので。
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 高度成長期

昭和30年代がクローズアップされるのは、今、失われたものを引っ張り出して

懐かしむという意識が働くからだろうが、

40年代はそれを破壊していく過程であり、それゆえ懐かしみを感じなく逆に

を皆が思い出したくないからだろう。

それは地域共同体の破壊である。この時期を境に人間関係の主流は

共生から競争に変わった。精神的なものを尊重する事から

物質本位に変わった。

それが今の主流になって続いている。40年代とはその過渡期である。

またそれは物質的豊かさと表裏一体をなしており

今の「豊かさ」を失くしてまであの時代に戻りたいと思う人は少ないだろう。

その意味ではあの時代の再生を望むというのは自己矛盾であり

実際的にも戻りえない。

そうしたのは日本人自身であり、政策があったとはいえ

実行したのは庶民自身だ。

それを忘れて昔は良かった式の発言をし、ノスタルジーにひたることに

何の意味があろう。

自分が書きたいのはそういう勝手な言い分に対して、

当時の醜い日本人像を若い人に伝える事が目的である。

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 貧しさと豊かさと

下町という言葉が安っぽく安易に使われているのはテレビのせいである。

ありもしないものをあるものとして描いて恥じないのは

やはり、田舎者が作っているからだろう、自分の妄想に自分が捉われているだけだ

いわゆる下町は遠く関東大震災の時に滅んだというのが歴史学の定説であり、また

その通りである。

なぜ、葛飾・柴又みたいなところが下町なのか、あそこは在(田舎)でしかない。

それを田舎者が見て下町だと思われるのは東京で生まれ育ったものにとっては

シャクの種である。



そこで昭和40年代だが、自分は昭和34年生まれなので30年代の記憶は

東京オリンピックの断片とその頃から好きだった柏鵬時代の相撲くらいしかない。

だから3丁目の夕日の時代は知らない。書物による知識は勿論持っているが実感は

分かるはずもない。

そこで40年代は、いわゆる物心がついた時代だから記憶は鮮明にあるので

それを書こうと思うに至ったわけである。

そして偶然だが育ったのは下町の本家・浅草だ。

つまり、幼少期の目線を思い出しながら浅草を題材にする。

そして、主にテレビがつくった「下町」の虚像を剥ぐことも

目的の一つである。
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