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    <title>昭和４０年代の真実</title>
    <description>昭和３０年代がブームになっているが本当の高度成長期である昭和４０年代のことを書いていきます。</description>
    <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/</link>
    <language>ja</language>
    <copyright>Copyright (C) NINJATOOLS ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>

    <item>
      <title>下町幻想</title>
      <description>今や、下町なんぞテレビ画面の向こうにしか存在しないのに、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あたかもあるかのごとく報道するのは詐欺と言っても構わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも下町風情などは関東大震災の時に消滅したというのが、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
都市学の定説なのだから、テレビは嘘を言い続けてきているといっていい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
下町というのは本来、隅田川にかかる橋のひとつ、厩橋から南の左岸の&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ごく小地域を指す言葉ー日本橋、京橋、浜町、人形町、木挽町等々ーであり、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浅草でさえ下町ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、隅田川の右岸ー両国、本所などーは、川向こうといって&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば山の手の人間がくるようなところだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近代以降で言えば、劣悪な工場街であり、スラムだった、そして&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
川向こうの先にあるのは在でしかない（在ー田舎）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だから、葛飾柴又が下町であるはずがない、あそこは在以外の何者でもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、逆に谷根千などといって谷中・根津・千駄木を下町扱いするが、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あっちは上野の山の向こうなのだから山の手とは本来、あの辺を指すのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世田谷、目黒、中野、杉並なども、在でしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少しばかり庶民的な町を下町といい、それよりは少し中流っぽい町を、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山の手といいたいのだろうが、そういうやり方で&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本当の地方から出てくる田舎者を騙すような知らせ方をするのも、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
テレビはいい加減やめたらどうなんだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そうやって、また百姓共がまた東京に舞い戻ってきている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おかげで」、東京ばかりが再開発を重ね、本来、百姓共が住むべき&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地方は疲弊の極にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この責任をテレビはどうとるつもりなのか。</description> 
      <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC/%E4%B8%8B%E7%94%BA%E5%B9%BB%E6%83%B3</link> 
    </item>
    <item>
      <title>銭ゲバ</title>
      <description>先年、堀江貴文とかいうおっちょこちょいが「金があれば何でも手に入る」とか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
言って、ひんしゅくを買ったが別に新しい言葉ではなく&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
４０年代からあったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もっと言及するなら数戦直後から日本人の中にあったものだ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その意味では日本人の誰もが堀江を嗤えるものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本人とはそんな民族なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あの頃呼んだマンガに「銭ゲバ」というのがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いわゆるピカレスクだが、いま、そういうジャンルが無くなっただけに印象は強く残っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
要するに貧乏で不幸な境遇に育った男（しかも片目で醜い容貌）が&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
カネだけを唯一の価値として、手段を選ばず殺人を筆頭にありとあらゆる悪事を尽くし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大企業の長にまで成り上がり、公害にも目をくれず、ひたすら儲けだけを追求していく話だが&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
基本的に作品としては子ども漫画だから、誇張も目立つが、その頃の日本人の自画像を見せ付けた功績は大きい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今の日本人もあんまり変わらないからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本人などそんな存在なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「銭ゲバ」から３０年以上たっているが、あの頃と今とどこか違うところがあるのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
状況はますます悪くなっていくばかりではないのか。</description> 
      <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/%E4%B8%96%E4%BB%A3/%E9%8A%AD%E3%82%B2%E3%83%90</link> 
    </item>
    <item>
      <title>何かを忘れていた・・・</title>
      <description>何にも考えていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
みんなそうだったろう、家には車が来た、テレビ色がついた（もっとも、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時はつまみがあって、いちいち色の調整をしなくてはならなっかたが）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでも映画のように色つきの映像を見られることは楽しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな事に気をとられているうちに&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本橋の上に高速道路が走ったり、車が走り去るのをよけながら遊んだりしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またそういうことに何の疑問ももたなっかたのだ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
年柄、餓えというものは知らなかったが、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人口甘味料を本当の甘さと思い、合成着色料で色付けられた&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ジュースの色を別にドギツイとも思ってなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
唯一、チクロというもの（合成着色料、発ガン性があるといわれたため&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
禁止になった）が騒動になったとき&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ジュースが甘くなくなったといって友達と文句を言っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今なら大変な事になっていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だけど、とにかく子供も大人も豊かになるのは当たり前のことだと思い、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
豊かになることが幸福なのだということに疑いも&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何ももたなっかたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そしてその中で日本橋に見られるような醜いものが作成され、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
殺伐とした世界が進行している事に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
気が付く人は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おそらく、殆どいなかったに違いない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;</description> 
      <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/%E4%B8%96%E4%BB%A3/%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%82%92%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB</link> 
    </item>
    <item>
      <title>グループサウンズ</title>
      <description>グループサウンズ（以下、ＧＳと呼ぶ）は前の世代に支持されたものだが&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
多少、マセていた我々はこれを聞いて育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あの頃は歌謡曲は完全におとなのものであり、聞いても詩の意味が解らず、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分たちに用意されていたのは童謡だったから&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
聞くことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこにあらわれたＧＳはまったくの&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新しいものに思えたのだ。衣装には関心はなかったが&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長い髪型には強い魅力を持った&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毎日、ヘアートニック（ＭＧ５しかなかった）をあたまにぶっかけ、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヤング７２０を見て（朝の７時２０分からTBSでやっていた若者向け番組、昔の&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
若者は早起きだったのか）、特に星占いというものをこの番組で初めて知った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな朝を送っていた変な小学生が（自分もだが）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
周りにいたおかしな環境だった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＃この番組で人気司会者で、自動車事故で死んだ小柳徹というタレントがいた、本職が何だったのか&lt;br /&gt;
　知らないが、番組では一番人気があった。　　どなたかプロフィールをご存知の方がいたら&lt;br /&gt;
　お教え下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　全く資料が見つからないので。</description> 
      <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/%E4%B8%96%E4%BB%A3/%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BA</link> 
    </item>
    <item>
      <title>高度成長期</title>
      <description>昭和３０年代がクローズアップされるのは、今、失われたものを引っ張り出して&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
懐かしむという意識が働くからだろうが、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
４０年代はそれを破壊していく過程であり、それゆえ懐かしみを感じなく逆に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
を皆が思い出したくないからだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは地域共同体の破壊である。この時期を境に人間関係の主流は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
共生から競争に変わった。精神的なものを尊重する事から&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
物質本位に変わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それが今の主流になって続いている。４０年代とはその過渡期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またそれは物質的豊かさと表裏一体をなしており&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今の「豊かさ」を失くしてまであの時代に戻りたいと思う人は少ないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その意味ではあの時代の再生を望むというのは自己矛盾であり&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際的にも戻りえない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そうしたのは日本人自身であり、政策があったとはいえ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実行したのは庶民自身だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それを忘れて昔は良かった式の発言をし、ノスタルジーにひたることに&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何の意味があろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分が書きたいのはそういう勝手な言い分に対して、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時の醜い日本人像を若い人に伝える事が目的である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;</description> 
      <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/%E4%B8%96%E4%BB%A3/%E9%AB%98%E5%BA%A6%E6%88%90%E9%95%B7%E6%9C%9F</link> 
    </item>
    <item>
      <title>浅草六区（３）</title>
      <description>今のＪＲＡの場外馬券上のあるところに子供の頃、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浅草新世界、という今でいうアミューズメント施設があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここは元々、浅草名所の一つであるひょうたん池があったところで&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それを囲む藤棚で有名だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それを埋め立てて造られたものだったが寿命は１０年ほどで終わったため、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
覚えている人は少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先年、雑誌「東京人」で記事があったので興味のある人はバックナンバーを参考にして欲しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地下１階地上７階で地下に大浴場があり（入ったことはなかったが）、７階に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
グランドキャバレーがあった、ここで何とか持っていたのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
屋上に小さいゲームセンター、バッティングセンター（まだ珍しかった）、なぜかプラネタリウムがあった、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敷地面積が小さかったせいかゴテゴテと詰め込んだ印象が強かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、シンボルだったイルミネーションの貧弱な五重塔があった（これは先述の「不良少年」で見れる。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
６階のゲーセン（こんな言い方はなかったが）が我々の遊び場だった（ここも昭和３８年の&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「下町の太陽」という映画でみれる、長らくコンビを組む事になる山田洋次監督、ヒロイン・倍賞千恵子の&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一回作品だ、倍賞と主役の勝呂誉が初デートするシーンが映っている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時のゲーセンはピンボールの全盛でほとんどそれで遊んだ、一回３０円だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ中は殆どのフロアがここもガラガラで閑散とした印象しか残っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同級生が屋上のバッティングセンターのボールを下にめがけてノックをし問題になった（当たり前だが）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事くらいしか記憶に残っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あれも浅草再建の一環だったのだろうが結論としては失敗だったという評価しかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかも江戸時代からの名所だったひょうたん池を潰しただけに終わってしまったのだから&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪評しか残っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
馬券を買いに来るオッさんたちだって、もう覚えていないに違いない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あれは一体、なんだったんだろう。</description> 
      <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/%E6%B5%85%E8%8D%89/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%85%AD%E5%8C%BA%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%89</link> 
    </item>
    <item>
      <title>浅草六区（２）</title>
      <description>かつては大衆演劇の本場だった浅草もその頃は映画街だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
封切館は全部揃っていたし、邦画は封切館だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二番館ではあったが洋画もやっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もっとも、入りは悪く、どこもガラガラで僅かに任侠映画全盛期に在った東映だけが&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一人気を吐いてはいたが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通りは汚く、ゴミは散らかり、吸殻がいっぱい落ちてたし、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それがまたうらぶれた雰囲気を醸し出していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、浅草座、ロック座、フランス座、カジノ座と４館あった（現在はロック座のみ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とストリップ劇場があった、というより残っていたといった方が印象が分かりやすいかもしれないが、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここも入っていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
元気があったのは当時全国レベルでブームだったボーリング場だけ、だがどんな田舎でもそうだった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
のだから浅草云々の話ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
汚く、古臭いレンガ壁の映画館が１９２０年代にはヨーロッパで最新（ということは世界最新）の&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アール・デコ様式だったなんてことを知ったのははるか後年の事である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今、多少人気のある花やしき遊園地も入園料がタダというだけがウリの寂しいところだったが、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たまに３０円（その頃の一日の小遣い）を持ってジュークボックスでグループサウンズの歌を&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
聞きに言った、何回かビートルズも聞いたが特に影響を受ける事もなかった、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分たちにとってはポール・マッカートニーやジョン・レノンより&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
沢田研二（ジュリー）・萩原健一（ショーケン）の方がはるかにスターだったわけだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
寄席は大人のあるいはジイさんが行くところだったから松竹演芸場には１回しか入ったことはなく、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
トリをとっていたデン助劇団（土曜日にテレビ（NET－今のテレビ朝日で中継をしていた）は、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いかにも古臭い人情喜劇をやっていたので子供が行くはずもなかった。（松竹演芸場の跡地に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
建っているのが浅草ROXだ。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時は外人観光客もいなかったから、専ら来るのは栃木・埼玉の田舎から来る百姓ばかりで&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この人たちをカッペといって俺たちは馬鹿にしていた（言葉が訛っていたからだと思う）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遊びながら早くこんなところから出て行きたかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それが当時の偽らざるみんなに共通した想いのはずだった。。。</description> 
      <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/%E6%B5%85%E8%8D%89/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%85%AD%E5%8C%BA%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%89</link> 
    </item>
    <item>
      <title>浅草六区（１）</title>
      <description>浅草の正式名称は浅草公園である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治初年に公園をつくった時上野などと並んで指定を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その時、内部を六区画に分けた、その時興行場を第六区に集めた事から&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本一の盛り場として「六区」の名は全国に鳴り響いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だがそれも今は昔、記憶に残っている六区は寂れた田舎の町になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和３６年に後悔された傑作「不良少年」（羽仁進監督）で主役の少年たちが&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遊んでいる場所が浅草に設定されているところを見るとこの頃までが浅草が&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
盛り場と認知されていた最後だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼が回想シーンの中で「エンコは良かったなあ」と言うがこの言葉は浅草公園の公園をひっくりかえして、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
呼んでいるのである。こんな言葉は４０年代にはもう誰も使っていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分が通っていた小学校が此処から一番近かったため、子供の時から遊んだため記憶は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鮮明だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今、ここをブロードウェイ通りなどと呼んでいるセンスのなさが浅草の凋落を象徴していると思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とにかく、ここも汚かったことがまずは眼に浮かんでくる。。。</description> 
      <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/%E6%B5%85%E8%8D%89/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%85%AD%E5%8C%BA%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89</link> 
    </item>
    <item>
      <title>隅田川</title>
      <description>育ったのは浅草である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先日、隅田川の花火大会があったが、子供の頃は中止（廃止？）されていたので&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
残念ながら見れるはずもなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それも当たり前の話であそこは完全なドブ川だったからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分の記憶にある隅田川といえば橋を渡る時に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鼻をつまみながら、渡らなければ渡れないほどの臭気を放ちまくっていた川で&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
花火大会など考えた事もなかったものだ。渡る時、目も少し痛かった覚えがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あの近くにあった高い建物は浅草松屋だけであり、当時のどこのデパートにもあった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
貧弱で安っぽい遊園地があった。その頃はそんなところでも楽しかったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対岸が本所で此処も下町といわれているが、あそこは川向こうと呼ばれ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子供が行くところではなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
４０年代はとにかく何でも汚く「公害」なんて言葉もなかったから&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
工場（川向こうに多かった）は何本もの煙突から&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
煙を吐き出していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでも誰も文句一つ言わなかった。それが普通だったからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道路も舗装はされていたがアスファルトではなくコンクリートによるものだったから&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
所々に穴が空いていて雨が降るとたちまち大きな水溜りとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裏路地に入ると舗装どころではなく土の道だったから、大雨が降ると歩くのにも大変だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
隅田川の水上バスはあったが川の臭さのため、乗る人などいなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今は、人気にもなっているがあのころのことを思い出すとよく残っていたものだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浅草は今以上にさびれていた。&lt;br /&gt;</description> 
      <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/%E6%B5%85%E8%8D%89/%E9%9A%85%E7%94%B0%E5%B7%9D</link> 
    </item>
    <item>
      <title>貧しさと豊かさと</title>
      <description>下町という言葉が安っぽく安易に使われているのはテレビのせいである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ありもしないものをあるものとして描いて恥じないのは&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やはり、田舎者が作っているからだろう、自分の妄想に自分が捉われているだけだ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いわゆる下町は遠く関東大震災の時に滅んだというのが歴史学の定説であり、また&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その通りである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なぜ、葛飾・柴又みたいなところが下町なのか、あそこは在（田舎）でしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それを田舎者が見て下町だと思われるのは東京で生まれ育ったものにとっては&lt;br /&gt;
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シャクの種である。&lt;br /&gt;
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そこで昭和４０年代だが、自分は昭和３４年生まれなので３０年代の記憶は&lt;br /&gt;
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東京オリンピックの断片とその頃から好きだった柏鵬時代の相撲くらいしかない。&lt;br /&gt;
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だから３丁目の夕日の時代は知らない。書物による知識は勿論持っているが実感は&lt;br /&gt;
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分かるはずもない。&lt;br /&gt;
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そこで４０年代は、いわゆる物心がついた時代だから記憶は鮮明にあるので&lt;br /&gt;
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それを書こうと思うに至ったわけである。&lt;br /&gt;
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そして偶然だが育ったのは下町の本家・浅草だ。&lt;br /&gt;
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つまり、幼少期の目線を思い出しながら浅草を題材にする。&lt;br /&gt;
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そして、主にテレビがつくった「下町」の虚像を剥ぐことも&lt;br /&gt;
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目的の一つである。</description> 
      <link>https://koudoseichou.blog.shinobi.jp/%E4%B8%96%E4%BB%A3/%E8%B2%A7%E3%81%97%E3%81%95%E3%81%A8%E8%B1%8A%E3%81%8B%E3%81%95%E3%81%A8</link> 
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